ヒネクレ仔ぶたはブーと鳴く。

Yahoo!ブログ閉鎖により、漂着したヒネクレ仔ぶた(管理人)が、徒然なるままに、愛のままに我が儘に書きたいことを書きなぐるブログ。漂流中に細胞分裂し、アメーバブログにも漂着している。

2年…。

あの大震災から2年…。
まだ2年と感じるか、もう2年と感じるかは人それぞれかもしれません。

2年前の今日、管理人は今と同じ職場でフツーに仕事していました。
特に忙しくもなくまったり仕事してました。

世間では卒業式で袴姿の女の子がいたり、すでに春休み突入してる学生もいました。

管理人は確か仕事帰りに同僚と食事に行く約束をしてました。

そして地震発生!

長く徐々に強くなる横揺れ。
ガタガタと音を立てる天井や窓。
そして上司の一言!
「モニター押さえて!」
「そっち!?」
同僚のツッコミを聞きながら、素直にモニターを押さえる部下たち…。
きっと内心では「俺らモニター以下かよ…」と思ってたでしょう(笑)

とりあえず揺れが収まり、仕事再開。

上司がネットで地震速報を見て、
「え、震度7?」
と呟く。
今まで聞いたことのない震度にみんなは
「いやいやさすがにそれはないでしょ?」
と和やかムード。
というか部下よりモニターを選んだ上司の言葉に複雑なムードの職場。
「避難した方がいいのかな?」「避難場所どこ?」「荷物どうする?」「パソコンの電源落とす?」
上司たちが話しているのが聞こえてくる。
緊張感はゼロ。

そして2度目の揺れ。
言われる前にモニターを押さえる優秀な部下たち(笑)
さすがの上司も空気を読んだらしく、
「モニターいいから、机の下に隠れて」と。

揺れが収まり、ビルの管理人さんから全員ビルから出て避難場所へ避難するようにと指示が出る。

一時避難だろうとは思ったが、ビルが古いため最悪のケースを考え、管理人たちの職場は全員帰り支度を整え退避。
※当然エレベーターではなく階段で。職場が5階で良かった…。

外は天気も良く風もなく特別寒くもなかった。
避難場所には同じビルの違う部署の人や、近くの別のビルの人たちも集まっていた。

部署ごとに集合しつつ待機。
待機中は雑談を楽しむ人、座り込む人、携帯のワンセグやラジオ、ネットで情報を集める人。電話やメールで家族の安否を確認しようとする人それぞれでした。

が…電話やメールが繋がらない自体発生。

本社と連絡が取れたらしく、このまま解散になると連絡があり、貴重品しか持っていなかった他部署の人が非常階段を使って各々荷物を取りに…。
この間、管理人たちは待ちぼうけ。

上司たちが持っていたノートパソコンで電車は全部運転見合わせ状態だと知らされる。
解散後、とりあえず駅へ向かう人、途方に暮れる人、歩いて帰る人がいました。

管理人たちは…
飯食いに行きました(笑)

いや…元々行く予定だったし。
少し待てば電車も運転再開するだろうと思って。
約束してた同僚以外に2人、計4人(女3、男1)で定食屋へ。
がっつり腹ごしらえし、まったりくつろぎました。

その間も余震は何度かあり、窓の外は渋滞してる道、超満員のバス、バス停の大行列、会社の支給品らしいヘルメットをかぶって歩くOL、おそらくいつも通りに散歩してる犬など様々でした。

相変わらず携帯電話は不通のまま。
いくらかけても通話中。
が、突然携帯が鳴り、妹と連絡がつく。
妹のいる場所が良かったのか、無事に家族の安否確認ができた。
問題は新宿から千葉までどうやって帰るか…。
歩くとしても…何本、川渡るんだ?
線路の上歩いちゃう?

結果、南大塚に住む友人宅に向かうことに。
ただし…肝心の友人が道がわからない。
池袋駅まで行ければわかるとのことで、唯一の男性に池袋まで案内してもらうことに。
※一人は逆方向とのことでここで別れた。

3人でひたすら歩き池袋を目指す。
途中新宿駅前を通ると、シャッターが下り駅から閉め出されている人の姿が見える。
バスやタクシーを待つ大行列。
数少ない公衆電話も長い行列。
歩道からはみ出す程の歩行者。
避難場所へ行くように看板を持って叫ぶ人。

歩いている最中も緊急地震速報のアラームが鳴り響き、緊張が走る。

街道沿いのコンビニからは水や食料が消えていた。
ついでに自転車屋からは自転車が売れまくる。

途中「非常食配布してます。」や「休憩できます。」「トイレあります。」などの貼紙を見かけた。
トイレに関しては、店だけではなく、一般の家にも貼紙をしてあるところがあった。

管理人たちは定食屋でトイレを借りていたので休憩もなくひたすら歩き続けました。

女らしさゼロな管理人と同僚はスニーカーとブーツでしたのでスタスタと歩けました。
スーツにヒールのOLさん、袴にぽっくりの卒業生…ホント大変そうでした。

服装って大事だなぁと痛感しました。
なので相変わらず管理人はジーンズにスニーカーです(笑)
楽ですから。

ようやく友人宅に着いた時はすでに暗くなり、友人のご両親はまだ帰ってない状態でした。
時間にして2時間弱。
歩いた時間も距離も大したことはないんですが…如何せん人が多く歩きづらいので疲れました。

ソファに座らせてもらい、テレビをつけてア然。

気仙沼が火の海でした。

その後も緊急地震速報のアラームと余震が続き、ほぼ寝てない状態で朝を迎えました。

管理人は家族の安否を確認できましたが、道案内してくれた同僚の男性は福島出身で家族が福島に住んでるとのこと。
連絡が取れず不安な夜を過ごしたと思います。
※翌朝、無事だという連絡があったそうです。

翌日は大混乱状態ながらも電車が動きだし、管理人もどうにか千葉県内へ移動できました。
途中で電車がなくなり、妹のアパート近くまで歩きましたが…。

自宅は停電があったらしく、スーパーやコンビニからは食料が何もない状態と聞いていたので、池袋でおにぎりや菓子パンを適当に買って行きました。
…超満員電車で潰されまくりましたが。

あれから2年…。
泊めてくれた同僚は仕事を辞めて今はいません。
電話なくしたとかで音信不通…。

もうあんな思いはしたくない。
宮城や岩手、福島の人たちに比べたら大したことのない被害ですが、やはり嫌ですよ。

最後に…
あの震災で犠牲になった方々の御冥福を心からお祈りいたします。