本日で11連勤目~。
どこまで続くの…休みナシ。
今週の土曜はほぼ仕事確定、日曜は不明。
もう曜日感覚も日付感覚もグダグダですよ。
疲れも何かピーク通り越してわけわかんない感じ?
とりあえず…他人に気を遣うのは意図的に止めてます。
空気もあえて読まない!
職場ではちゃんと気を遣うし、空気も読んでます。
ただでさえみんな疲れてるのに険悪ムードにするわけにはいきませんからね。
なので…主に電車の中での気遣いスイッチをオフに。
座れる状況なら座って、座ったなら基本降車駅まで座りっぱなし。譲りません。
もともと優先席には座ってないし、残業&休みナシで疲れてるんだから大目に見ろ。
と言っても、譲れアピールする年寄りはそんな事情なんて考慮してくれませんよね。
周りから見てる人も単に「若者が年寄りに席を譲らない」としか見てない。
座ってる側の立場も考えるべきです。
一見元気そうに見えても、
・仕事で疲れてるかもしれない
・具合が悪いかもしれない
・寝てないのは、乗り過ごしを警戒してるだけかもしれない
とか…。
もっと客観的に見るべきだと思う。
例えば…
自分は立ってて、座ってる若い人の前に年寄りが立ってるのを見たら…
「譲ってやれよ」と大半の人が思うでしょう。
ではもし自分が、その座ってる若い人の立場だったら?
「何で自分の前に立つのよ」と不満に思いませんか?
優先席じゃないなら尚更「優先席に行けよ」と思いませんか?
少なくとも管理人はそう思います。
まあ状況に応じて、渋々譲りますけどね。
ちなみに…譲って感謝されても「善いことした」という風に思ったことはないです。
ただ運が悪かったとしか思いません。
管理人「善いことして感謝されて気持ちいい」という性癖は持ち合わせてないようです。
ただ困ってる人がいたら純粋に手を貸してあげようとは思いますけどね。
でも「手伝えよ!」とか言われたら嫌です。
命令口調や嫌味っぽく言われたら助ける気は失せます。
というか助けないかもしれない。
だってそこで助けると付け上がりますからね。
ボランティアが趣味だという人はレアです。
大半の人は、せっかく座れたのなら座っていたいはずです。
そういえば学校には奉仕作業とかボランティア活動とかいう時間ありましたよね…。
まあ完全な強制労働でしたけど。
ボランティアという言葉にイマイチ良いイメージを持てないのは、学生時代の強制ボランティアの反動でしょうか?
…ボランティア、ボランティア書いてたら、ボランティアって文字がゲシュタルト崩壊してきた…。